学研が出している「学研・進学情報」という冊子の7月号に、インタビューが載りました。高校生対象のインタビューでしたので、「ひとりごと」に転載することにします。インタビューだから「ふたりごと」ですけど。
――今、私立大の大規模校を中心に、志願者の争奪戦が激しく展開され、学部新設や入試複線化が相次いでいます。減少する学生を必死に集め勝ち残ろうとしていると思うのですが、高校の現場や高校生が振り回される面も多々あります。この現状について、どう思われますか?
内田:以前、文部科学省の方にこう言ったことがあります。「もし文科省が、大学も一般企業のように強いところだけが勝ち残ればいい、体力のないところは退場しなさいという考えを認めるのなら、それは教育行政の任務放棄じゃないですか」と。
有力私大の多くは、まるで地引き網ですくうかのように志願者をかき集めています。最近は、教育理念も教育方法も無関係に、経営難の高校を附属校化して高校生を囲い込むにも熱心です。でも、こんなことはいつまでも続かない。いずれ破綻しますよ。
小泉内閣のとき「大学経営も市場原理に委ねるべきだ」という考え方が「常識」になりました。でもその間に日本の18歳人口は200万人から120万人まで、40%減少したのです。この縮小し続けるマーケットで、1000以上の大学と短大が勝ち残りレースを強いられ続けたら、体力のある学校法人だけしか残れない。かつて三大予備校の全国系列化によって、日本中の中小予備校が消えたのと同じように、日本中の中小大学が消えることになりかねない。
市場原理にさらせば、低コストで教育ができるシステムを作り出した大学だけが残ることになります。教育コストを下げるのは大学を「コンビニ化」することです。コンビニと同じように、全国どこのキャンパスでも同じカリキュラム、同じ教材、同じタイプの教員が同じ時間に同じことを教える。これが一番コストが安い。でも、それは高等教育そのものの死だし、受験生自身そんな大学を求めてはいません。
その文科省の方にも、「全国の大学の系列化をお望みなんですか?」と尋ねました。「それは違う」というお答えだった。「だったら、なぜ各大学に行政指導をしないんですか?全国一律に学生定員を削減するしかないじゃないですか?」そう言いました。論理的にはそれがいちばん合理的で、不利益の少ないソリューションなんですから。
――どの大学も一律に定員を減らすのが最善策だとお考えなのですか?
内田:そうです。18歳マーケットのサイズに合わせて、毎年各大学の入学定員を逓減してゆく。大学は地域の文化のセンターであり、緑地であり、地域経済が大学に依存している街も少なくありません。ある街から大学がなくなるということが地域社会の生活の質を損なう可能性は高い。地域に大学が存在するということそれ自体が価値あることなんです。それを市場原理にさらして、採算の悪い大学は抹消するということにして、いったい誰が得をするのですか?少なくとも大学の地元の人々は市場原理による大学淘汰につよく反対すべきでしょう。でも、そういう動きはまったくないですね。みんな、「マーケットに選択されなかった大学は消えればいい」とまるで人ごとのような顔をしている。そもそも、大学は「市場」などというものと関連づけられるべきではないのです。営利企業の人たちは、原理的に「マーケットは無限である」と考える。ニーズは「ある」ものではなく「作り出す」ものである。これは資本主義の常識ですね。でも、18歳人口を誰が増やせると言うんです?大学志願者の数を劇的に増やす方法なんかありません。社会人が仕事をやめて大学に殺到する可能性も、大学進学率がさらに急増する可能性もない。大学にとっての「市場」は単純に「18歳人口かける進学率」で得られる数字です。そして、それは確実に減り続けています。
「市場」がひたすら縮小しているとき、ビジネスマンは「ニーズがないなら、ニーズを作れ」という資本主義の古典モデルを当てはめようとする。でも、これは前提が違っている。大学の「市場」はひたすら縮小し続けており、どれほど「商品開発」しようと、広告戦略を工夫しようと、市場そのものが拡大する可能性はゼロだ、ということです。どうして文科省は定員の一律削減を各大学につよく指導しないのか。僕には理由がわかりません。大学はむしろ拡大路線を突っ走っている。
――なぜ、拡大路線をやめないのでしょうか?
内田:先日大学関係者が集まる席で講演を頼まれて、ある私大の実名を出して「こんな拡大路線を続けると必ずクラッシュする」と申し上げました。そしたら、その場に当該大学の関係者がいて、そのあとの懇親会の席で「おっしゃる通りです」と言われました。
その方が言うには、その大学でも教職員たちの相当数は「拡大路線はもう無理だ」と思っているそうです。でも、公共事業と同じで、一度動き始めた巨大プロジェクトは止められない。ゴーサインを出した経営陣はとうに退職して、企画立案した責任者はもう学内にいない。「猫の首に鈴を付けよう」としても、肝心の「猫」がいない。誰も望んでいないままに、すでに敷かれたレールの上を暗澹たる気分で走り続けているのだそうです。
拡大路線を取る私立大はどこも似たようなものだと思います。崖に向かって突っ走るチキンレースのようなものです。どこかで拡大路線を止めるしかないのに、ブレーキペダルを最初に踏んだ大学が志願者争奪戦からドロップアウトしたとみなされる。だから、意地でもアクセルを踏み続けるしかない。でも、遠からず本当に崖から落ちる大学が出ますよ。
――首都圏で長い伝統を誇る女子大の多くが今、第1希望の志願者を集めるのに苦労しています。合格を出しても、併願した共学の私立大を選ぶ受験生が後を絶ちません。女子大の存在意義はどこにあると思われますか?
内田:本学はミッション系の女子大で、文学部・音楽学部・人間科学部のリベラル・アーツ系学部で構成されています。実学系共学校とは正反対の志向性です。でも、こういう学校だからこそ、存在意義があると僕は思います。
社会全体の知的活動を高いものにするためには「生物学的多様性」が必須です。いろいろなサイズの大学があり、いろいろな教育理念があり、いろいろな学部構成があり、いろいろな学生が各地で、それぞれの学びを経験する。その多様な知的環境こそ、社会の知的レベルを高める必須条件です。もし、巨大な私立大の数校が系列校を全国に作り、それが「コンビニ化」したら、日本の知的状況は取り返しのつかない傷を負うことになります。
東京の女子大が苦戦しているということですが、あえて苦言を呈すれば、「トレンド」を追い過ぎたせいではないでしょうか。女子大の中には、「リーダーシップの涵養」「エンパワーメント」「実学優先」などをアピールする学校を見かけますが、これは自殺行為だと思います。「共学校と同じことが学べますから女子大でも損はしません」と女子大自身が言い立てるというのは、「女子大は共学校より下です」と告知しているに等しい。初めから負け戦をして、どうするんですか。教養教育をやってきた女子大なんですから、「実学をめざす共学校では決して学べないことが学べます」と正直に言えばいい。「それなら行かない」という人もいるでしょうし、「それなら行く」という人もいるでしょう。多様性がたいせつだなんですからそれでいいんです。僕は日本中の大学がリベラルアーツ教育をしろなんて言いません。「リベラルアーツが学びたい人」はよければ来てくださいというだけのことです。
――ただ、現実社会と離れ過ぎた教育内容にすると、学生が集まりにくくなりませんか?
内田:高校生でも、権力や財貨や文化資本が欲しいと思って大学に行く人もいるし、そういうのはどうかなあと思っている人もいる。みんながみんな実学志向で、競争原理主義者であるわけがない。 こんな時代でも、貧しい人のために献身したいと考える子だっているし、わが身ひとりのことよりも環境保全や食糧自給の方がたいせつだと思っている子だっているし。うちはそんな学生が多くいますよ。「世間知らず」だとバカにする人がいるかもしれないけれど、そういう世俗的なところとは少しずれた発想をする人たちが社会には一定数必要なんです。
なんと言っても、本学の学院標語は「愛神愛隣」ですからね。神を愛し、隣人を愛せよ。「自分だけ勝ち残ればいい」とか「ライバルを蹴落とせ」という競争原理はそもそも本学の教育理念に反するんです。もちろん「良い成績がとりたい」と思って一生懸命に勉強するのはいいんですよ。その努力が隣人に仕えるために行われるのなら。隣人の喜びを自分の喜びにしなさい、というのが本学の変わらない基本理念であり、その考えに賛同する高校生はいつの時代も必ずいると思います。僕たちはそういう高校生に用があるんです。
少し前までリベラルアーツの女子教育はほんとうに風当たりが強かったです。ほとんど「時代遅れの遺物」扱いされていました。世の中は構造改革・規制緩和で、とにかく勝者が総取りするというルールで殺気立っていましたからね。そういうときに「愛神愛隣」というような声はなかなか届かない。でも、競争原理の時代がそろそろ終わってみたら、時代の流れとちょっとずれた本学だけがぽつんと残っていたという感じです。
――教育内容や制度を改革しようとは、あまり思われないのでしょうか。
内田:ときどきメディアの取材で「どんな改革をご計画ですか?」と当然のように聞かれます。でも、どうして改革しなくちゃいけないんですか。現行システムのどこが機能不全で、どこが比較的うまくいっているのか、そういう冷静な吟味を抜きにして、いきなり「改革を」というのはナンセンスでしょう。それは「改革」じゃなくて、単に「浮き足立っている」だけですよ。そういうふうにろくに考えもせずに、ただ大勢に付和雷同する卑屈な態度そのものをまず変革した方がいいんじゃないですか。
大学に限らず、学校はどちらかというとあまり変わらないほうがいいと僕は思っています。変わらないというか、社会の支配的な価値観に対抗して、壁を立てて温室を作り、そこで子どもたちを世間の荒波から守ることも学校の本来の、重大な役割のひとつでしょう。
義務教育だって、本来の趣旨は子どもを親の収奪から守るためなんです。子どもは親の価値観からいったん隔離しなければならない。僕はそう思いますよ。利己的な親は子どもを消耗品や自己実現の道具のように扱いかねないから。
学校教育は親の価値観とも、時代の支配的なイデオロギーとも一定の距離をとるべきだと僕は思います。学校に営利企業のビジネスモデルを入れれば、必ず学生を「人材」と呼ぶようになる。「人材」というのは「物品」ということでしょう。でも、工場で缶詰を作るようなつもりで教育はすべきじゃない。学校は工場じゃありません。人間を成熟させる場なんですから。
――入試部長に就任されて、どんなことに力を入れたいと考えていますか?
内田:まず、アドミッションポリシーを明確にしたいと思っています。「うちはここが他の大学と違います」ということをはっきり、強く伝えていきたい。
10人中9人に選ばれる大学である必要はないと僕は思っています。それよりも、10人中の1人にとことん気に入られる大学になりたい。今、18歳人口は120万人。大学進学率を50%だとすると、受験生は毎年60万人。その中の600人が本学を選んでくれれば大学は継続できる。それでいいと思います。統計的に言えば、日本の高校生の1000人に1人が「神戸女学院大学でぜひ学びたい」と思ってくれればいい。万人に選好される総花的なカリキュラムを掲げる必要なんかない。ビジネスじゃないんだから大学を大きくする必要はない。社会の「ニーズ」に合わせてめまぐるしく教育プログラムを改定する必要もない。
もちろん、最近のいわゆる「実学志向」のせいで都市部ではリベラルアーツは人気がない。でも、その代わり、遠く九州や北海道から本学の存在を探り当ててくれる感度のいい高校生もいる。僕はそういう人たちときちんとコンタクトが取れればいいと思っています。「こんな大学を探していたけれど、ここにあったんですね、やっと見つけました。絶対に入ります」と言ってくれる高校生にこちらからのメッセージを届かせたい。そのためには旗じるしをもっと高く、遠くからも見えるように鮮明に掲げたいと思っています。
――ところで、高校生は進学先の大学をどうやって決めたら良いと思われますか。よく「将来像を固めれば行くべき大学が決まる」と言われますが、どう思われますか?
内田:あまり関係ないんじゃないかな。将来のことなんか、ほんとにわからないし。とりあえず感度を上げておいて、アンテナに「ヒット」したところに行けばいい。高校生だって、これからどうやって生きようかと毎日必死に考えているわけですから、どの大学が自分と周波数が合いそうなのか、感度さえよければ予兆的に分かるはずです。
大切なのは自分のアンテナで感知すること。大学や学部や学科を調べていて、HPでも大学案内でも、「ピン!」と感じるものがあったら、キャンパスに足を運び歩き回ってみることです。現場に行けばいろいろなことがわかるから。
学生や教職員を細かく管理している大学なのか、自由放任している大学なのかは、キャンパスに行けばすぐにわかる。管理されている大学は誰も自分に割り当てられた以外の仕事をしようとしない。だから、表はきれいだけれど、裏が汚い。自分の管理しているエリア以外のゴミを拾う仕事を誰も引き受けないから。「きれいな学校」というのはふつう目の届かないところがきれいなんです。窓口の職員の言葉づかいとか、道を訊いたときの在学生の受け答えとか、そういうことで「校風」というのはわかってしまうものです。それを感知して、自分に合うかどうか感覚的に判断すればいい。
僕は、できるだけ学生にフリーハンドな大学がいいと思っています。学生に広い可動域が確保されている学校。新しいクラブを立ち上げたい、読書会をやりたい、自主ゼミをやりたいというときに、学校側が「前例のないことは許可しません」と閉じてしまう学校ではなく、「そこの空き教室を適当に使っていいよ」とか「少しぐらいならコピー機を自由に使っていいよ」と言ってくれるような大学が僕は好きですね。知的な創造はいつだってそういう「隙間」から発生するものですから。
高校生には、大学の知名度や偏差値ではなく、それぞれの大学が持つ自由さや校風や伝統など数値にならないところで感じ取ってほしいですね。1時間もキャンパスのあちこちを見れば、なんとなく相性の良し悪しが感じられるものですし、自分に合う場所かどうか判別できる力は生きていく上でも貴重な資質です。
神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。2009年度より本学入試部長。専門はフランス現代思想だが、教育論から身体論、映画論まで幅広い。また、武道家でもあり大学の合気道部と杖道会で実技の指導を行っている。「街場の教育論」ほか、教育についての提言も多数。