アドミッションポリシー 2

2010年度入試のアドミッションポリシーの起案を入学センターのヒラヤマ課長に頼まれたので、さらさらと書きました。「アドミッションポリシー」というのは前回書きましたけれど、大学が「どんな人に来てほしいか」、その希望を記すものです。
それを基準にして、受験生たちは大学を選ぶという建前ですから、その大学の個性が良くも悪くもはっきり打ち出されていなくては意味がない。私はそう思います。
こういう作文をするとき、私たちはどうしても「当たり障りのないこと」を書いてしまう傾向があります。
なにしろ、大学の「政策」を起案するわけですから、学内の教職員学生同窓生たちから「それは違うんじゃないですか」と言われては困ります。
誰からも文句が出ないような文言を選んでしまう。
するとどうなるか。
「沈香も焚かず屁もひらず」という言葉がありますが(女子高校生はたぶん知らないでしょうけど)、「芳香もしないし、悪臭もしない」つまり、何の匂いもしない文章になってしまう。
たしかに、どこにも違和感がないから、さらさら読める。でも、一読したあと、誰もその内容を覚えていない。
そういう「毒にも薬にもならない」(「沈香」よりこっちの方がよかったですね)メッセージを発信しがちになる。
でも、そういうのはあまり意味がないと思うんです。
というのは、大学というのはそれぞれが個性的なものであって、それぞれ違う教育理念を掲げて、「よそとは違います」ということがはっきり示されていないと、「ポリシー」を手掛かりに志望大学を選ぼうとしている高校生たちにはあまり役に立たないからです。
私は教育機関は「旗幟鮮明」にすべきであると思っています。
これについて村上春樹さんが書いていることに私は深く共感するのであります。
村上さんは作家になる前にはジャズバーをやっていました。
そして、バーの経営と作家としての活動の基本的なポリシーは変わらないと書いています。
「『みんなにいい顔はできない』、平ったく言えばそういうことになる。
店を経営しているときもだいたい同じような方針でやっていた。店にはたくさんの客がやってくる。その十人に一人が『なかなか良い店だな。気に入った。また来よう』と思ってくれればそれでいい。十人のうち一人がリピーターになってくれれば、経営は成り立っていく。逆に言えば、十人のうち九人に気に入ってもらえなくても、べつにかまわないわけだ。そう考えると気が楽になる。しかしその『一人』には確実に、とことん気に入ってもらう必要がある。そしてそのためには経営者は、明確な姿勢と哲学のようなものを旗じるしとして掲げ、それを辛抱強く、風雨に耐えて維持していかなくてはならない。それが店の経営から身をもって学んだことだった。」(『走ることについて語るときに僕が語ること』)
村上さんは文学の話をしているわけですけれど、私はこの文章はそのまま大学の話として読むことできると思います。
高校生たちの十人のうち九人に「いい大学だ」と思われなくてもいい。
ぜんぜんそんな必要はないのです。
うちの場合なら、毎年600人ほどの入学者がいれば十分なんですから。
18歳人口は120万人、大学進学率が50%としても、60万人。
そのうちの600人に選ばれればいいわけですから、計算上は1000人に1人でいい。
ただし、日本の高校生の1000人に1人に「確実に、とことん気に入ってもらう必要がある」。
その条件って何だと思いますか?
これは長く生きてきてわかったんですけれど、「確実に、とことん気に入ってもらう」ために必要な条件というのは、「この良さがわかっているのは、もしかすると私だけかもしれない」ということなんです。
恋愛といっしょです。
「あの人のほんとうの良さがわかっているのは私だけだ」という「選ばれてあること」の意識が恋愛感情にエネルギーを備給するということについては、みなさんも経験的にうなずかれることでしょう。
でも、これってよく考えると変ですよね。
「あの人のほんとうの良さがわかっているのは私だけだ」というのは、言い換えると、「あの人の良さ」は「あなた以外の人」にはかなり「わかりにくいもの」であるということですから。
ふつうの人はあまり評価しない(できない)ような特異な資質に着目して、「なんで、みんなはわからないんだろう。ここがいいんじゃない」という、いらだちに似た感情が、「確実に、とことん気に入ってもらう」ためには必須なのです。
私は学校というのも多かれ少なかれ「そういうもの」であるべきではないかと思っています。
別に日本人すべてから評価され、気に入られる必要なんかない。
「この学校の真価を理解しているのは私たちだけだ」と確信して、とことん気に入ってくれる人たちが「一握り」いさえすれば成立する、そういう事業であるべきだと私は思います。
同学齢集団のうちの数万人に気に入られる学校であろうとしたら、「明確な姿勢と哲学のようなものを旗じるしとして掲げ」ることはきわめて困難となります。
その意味で私は一貫して大学の「拡大路線」に批判的です。
学校は(大学に限りません)、ある規模を超えてはならない。
私はそう信じています。
村上春樹さんがもしジャズバーの経営をしているうちに、「リピーター倍増計画」を立案して、マニュアルを作り、支店を展開して、チェーン展開した場合、何が起きたでしょう。
もしかすると、わりと感じのいいジャズバーの全国チェーンができて、その創業者として巨額のキャピタルゲインを手にした村上さんは今頃ハワイあたりで悠々自適していたかもしれません。でも、私たちはその代価に世界的な作家を一人失うことになる。
「どちらがいい?」というような問いのたて方は意味がないし、フェアでもないですけれど、たまにはそういう想像してみてもいいんじゃないですか。

というようなことを考えてアドミッションポリシーを書きました。

こんな文章です。

アドミッションポリシー

神戸女学院大学は建学以来134年、「愛神愛隣」の学院標語を掲げて、日本の女子教育の先頭に立ってきました。私たちはこの知的伝統のよき担い手となる人々を求めています。

教育理念・教育方法

本学の教育の根幹をなすのは、神を愛し、隣人を愛するキリスト教主義の思想に基づき、国境や言語や文化の差異を超えて、すべての人々と理解と共感の場を立ち上げる国際理解の理念です。そのための知恵と力を培うために、充実したリベラルアーツ&サイエンスのカリキュラムを整備し、密度の高い教育を行うための徹底した少人数教育を実行しています。

  • 2009年5月 7日
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内田 樹(うちだ たつる)

神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。2009年度より本学入試部長。専門はフランス現代思想だが、教育論から身体論、映画論まで幅広い。また、武道家でもあり大学の合気道部と杖道会で実技の指導を行っている。「街場の教育論」ほか、教育についての提言も多数。

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